ヨーロッパ見聞第六話:フランクフルト市内見物
昭和46年2月20日(土) 1、日本航空(JAL)の事務所に行く。日本の新聞を読む。古い新聞だったので興味がなかった。 2、ゲーテハウスに行く。ゲーテ時代の大時計が注目を惹く。写真をご覧ください。私ども3人のほかに、日本からの人が見物にきていた。友人の児玉昭人君(日本の大学でドイツ語教師)も何度かドイツに留学中に来たことだろう。 3、カニバール:ゲーテハウスを見学して、通りを歩いているとカニバールの行進に出会った。Rat House(?)前の広場で古い戦いのまねごとを各地の衣装をこらして、敵味方にわかれて行っていた。若い娘さんたちがオレンジを投げつけて敵の攻撃をかわしてているのが面白かった。昔からのいわれがあるのだろう。拡声器だフランクフルト万歳と何度もさけび気勢をあげていた。 4、カフェテリアで軽食をとる。アメリカの少年が2人で食事をしていた。その横の2つ前のテーブルで老婆が食事ののち、新聞を持って気持ちよさそうに眠っているのをカメラのシャッターをきっていた。メイドは老婆に何もいわない。日本では追い出されるところだろうと思いながら、<国のゆとり>を感じた。 <ゆとり>といえば、このようなカフェテリアを除いて、ドイツ・オランダ・スイス・イギリスと訪問した国の普通のレストランのどこでもクロークがないところでもオーバーかけがあって、みなさんオーバーを脱いで、くつろいだ様子で食事を楽しんでいた。そのような国から羽田空港にに帰り食堂に入ったところ、みなさんオーバーはきたままでせかせかと食事を上愛想に運んでこられたこられているものを食べているのを見ると、いやになったのがいつわらぬ感想である。
街を歩けば、街路を示す表示が明確であるから、日航の簡単な地図を持って歩けば完全にひとり歩きができる。 道路・建物日本のように木造でアスファルトでなく長期間変化のない様式であり、施設に無駄な投資がなく、長期に使用され、有効ではないかと。彼らの生活態度・研究態度もこのような合理主義が長期計画にたえられれるよにするのではないかと。 日本のように掘っては倒し、家屋の寿命も50年くらいであるような生活は、あらゆる精神面でも安直にものを考える習慣をもたらせるのではなかろうか。 ▼このようにしてドイツの休日をたのしんだが、外国の異文化に接して<日本を振り返り・考えている>自分であることを自覚した。
参考:カニバール: 復活祭,イースター ★【解説】 キリストの復活 (the Resurrection) を祝う祭; 春分 3月21日以降の満月の後の最初の日曜日(満月が日曜日ならその次の日曜日); 日付は上定だが,早くて 3 月22 日,遅くて 4 月 25 日でこの日を Easter Day [Sunday] という; それまでの 40 日間は四旬節 (Lent) とよばれる; キリスト教徒にとってクリスマスとともに重要な祝祭日; パレードをしたり彩色をほどこした卵が付き物》. 二十五年十月八日 |